人生の主人公は、世界でただ一人。
見栄とプライドの違いは、他人の承認を必要とするか否かである。
自分の人生を充実させるために本当に必要不可欠なものであるのかどうか。価値があるかないかとは、そういうこと。
今この瞬間にワタシの目の前に生きてあるこの人たちは、全て例外なくワタシが尊敬すべからざる存在なのだ、という実感を大切にしたい。
たまに土の上に座って、地面からまわりを見渡してみる。
続ける勇気。 愉快な気持ち。
目に見えないものの広がりと深さの中を進む旅。
当たり前のことだが、局地戦の勝利は戦略的敗北で帳消しになる。逆に言えば、敗北しても、それを局地戦に位置づけるような戦略が成立するなら、まだ勝ち目がある。
僕らは、誰が一番幸せになれるかなんていう競争をしてるわけじゃない。競争と思わせたがっている人には悪いけど。
人間ケだもの。
電車に座り、家々の切れ間から瞼に夕日の連射をあびる帰り道。
時間とは、知覚できるだけで、作ることも消すことも分解することも育てることも真似ることもできない。
親不孝者と言えば、子不幸者と返ってくるかも知れないな。
制度変わるとも民は変わらず。
初見の印象をカッコに括っておくと、あとで違う景色が見られることもある。
論理はコピーできるが、情緒はコピーできない。
自由と無秩序の違い。それは、他者への視線。
小異を捨てた大同なんて、気味が悪い。
寸鉄、人をつなぐ。
たいていの勝負は、先に疲れた方が負ける。
緊張は体力を奪う。
ムカシオヤジはトイレで新聞。イマドキオヤジはトイレでケータイ。
意地を張るのも体力がいる。
さて、死なない程度に生きていくとしようか。
弱者の無策が、強者の春を呼び寄せている。
踏みしめて立つべきは、日常という名の退屈なる大地だ。
ふと気づくと、幼子はちょこなんと正座し、その小さなヒザの上で、小さなハンドタオルを一心にたたんでいた。やわらかなお地蔵さんが、そこにいた。
自分の楽しみがない人ほど、他人のニュースに一喜一憂している。
自信がない人ほど、譲らない。
大国に蹂躙される小国の無念と悲惨を、かつてこの国の人々は骨身に沁みて知っていたはずだ。